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吾輩が主人の膝ひざの上で眼をねむりながらかく考えていると、やがて下女が第二の絵端書えはがきを持って来た。見ると活版で舶来の猫が四五疋ひきずらりと行列してペンを握ったり書物を開いたり勉強をしている。その内の一疋は席を離れて机の角で西洋の猫じゃ猫じゃを躍おどっている。その上に日本の墨で「吾輩は猫である」と黒々とかいて、右の側わきに書を読むや躍おどるや猫の春一日はるひとひという俳句さえ認したためられてある。これは主人の旧門下生より来たので誰が見たって一見して意味がわかるはずであるのに、迂濶うかつな主人はまだ悟らないと見えて不思議そうに首を捻ひねって、はてな今年は猫の年かなと独言ひとりごとを言った。吾輩がこれほど有名になったのを未まだ気が着かずにいると見える。

おりから門の格子こうしがチリン、チリン、チリリリリンと鳴る。大方来客であろう、来客なら下女が取次に出る。吾輩は肴屋さかなやの梅公がくる時のほかは出ない事に極きめているのだから、平気で、もとのごとく主人の膝に坐っておった。すると主人は高利貸にでも飛び込まれたように不安な顔付をして玄関の方を見る。何でも年賀の客を受けて酒の相手をするのが厭らしい。人間もこのくらい偏屈へんくつになれば申し分はない。そんなら早くから外出でもすればよいのにそれほどの勇気も無い。いよいよ牡蠣の根性こんじょうをあらわしている。しばらくすると下女が来て寒月かんげつさんがおいでになりましたという。この寒月という男はやはり主人の旧門下生であったそうだが、今では学校を卒業して、何でも主人より立派になっているという話はなしである。この男がどういう訳か、よく主人の所へ遊びに来る。来ると自分を恋おもっている女が有りそうな、無さそうな、世の中が面白そうな、つまらなそうな、凄すごいような艶つやっぽいような文句ばかり並べては帰る。主人のようなしなびかけた人間を求めて、わざわざこんな話しをしに来るのからして合点がてんが行かぬが、あの牡蠣的かきてき主人がそんな談話を聞いて時々相槌あいづちを打つのはなお面白い。

両人ふたりが出て行ったあとで、吾輩はちょっと失敬して寒月君の食い切った蒲鉾かまぼこの残りを頂戴ちょうだいした。吾輩もこの頃では普通一般の猫ではない。まず桃川如燕ももかわじょえん以後の猫か、グレーの金魚を偸ぬすんだ猫くらいの資格は充分あると思う。車屋の黒などは固もとより眼中にない。蒲鉾の一切ひときれくらい頂戴したって人からかれこれ云われる事もなかろう。それにこの人目を忍んで間食かんしょくをするという癖は、何も吾等猫族に限った事ではない。うちの御三おさんなどはよく細君の留守中に餅菓子などを失敬しては頂戴し、頂戴しては失敬している。御三ばかりじゃない現に上品な仕付しつけを受けつつあると細君から吹聴ふいちょうせられている小児こどもですらこの傾向がある。四五日前のことであったが、二人の小供が馬鹿に早くから眼を覚まして、まだ主人夫婦の寝ている間に対むかい合うて食卓に着いた。彼等は毎朝主人の食う麺麭パンの幾分に、砂糖をつけて食うのが例であるが、この日はちょうど砂糖壺さとうつぼが卓たくの上に置かれて匙さじさえ添えてあった。いつものように砂糖を分配してくれるものがないので、大きい方がやがて壺の中から一匙ひとさじの砂糖をすくい出して自分の皿の上へあけた。すると小さいのが姉のした通り同分量の砂糖を同方法で自分の皿の上にあけた。少しばらく両人りょうにんは睨にらみ合っていたが、大きいのがまた匙をとって一杯をわが皿の上に加えた。小さいのもすぐ匙をとってわが分量を姉と同一にした。すると姉がまた一杯すくった。妹も負けずに一杯を附加した。姉がまた壺へ手を懸ける、妹がまた匙をとる。見ている間まに一杯一杯一杯と重なって、ついには両人ふたりの皿には山盛の砂糖が堆うずたかくなって、壺の中には一匙の砂糖も余っておらんようになったとき、主人が寝ぼけ眼まなこを擦こすりながら寝室を出て来てせっかくしゃくい出した砂糖を元のごとく壺の中へ入れてしまった。こんなところを見ると、人間は利己主義から割り出した公平という念は猫より優まさっているかも知れぬが、智慧ちえはかえって猫より劣っているようだ。そんなに山盛にしないうちに早く甞なめてしまえばいいにと思ったが、例のごとく、吾輩の言う事などは通じないのだから、気の毒ながら御櫃おはちの上から黙って見物していた。

吾輩が主人の膝ひざの上で眼をねむりながらかく考えていると、やがて下女が第二の絵端書えはがきを持って来た。見ると活版で舶来の猫が四五疋ひきずらりと行列してペンを握ったり書物を開いたり勉強をしている。その内の一疋は席を離れて机の角で西洋の猫じゃ猫じゃを躍おどっている。その上に日本の墨で「吾輩は猫である」と黒々とかいて、右の側わきに書を読むや躍おどるや猫の春一日はるひとひという俳句さえ認したためられてある。これは主人の旧門下生より来たので誰が見たって一見して意味がわかるはずであるのに、迂濶うかつな主人はまだ悟らないと見えて不思議そうに首を捻ひねって、はてな今年は猫の年かなと独言ひとりごとを言った。吾輩がこれほど有名になったのを未まだ気が着かずにいると見える。

おりから門の格子こうしがチリン、チリン、チリリリリンと鳴る。大方来客であろう、来客なら下女が取次に出る。吾輩は肴屋さかなやの梅公がくる時のほかは出ない事に極きめているのだから、平気で、もとのごとく主人の膝に坐っておった。すると主人は高利貸にでも飛び込まれたように不安な顔付をして玄関の方を見る。何でも年賀の客を受けて酒の相手をするのが厭らしい。人間もこのくらい偏屈へんくつになれば申し分はない。そんなら早くから外出でもすればよいのにそれほどの勇気も無い。いよいよ牡蠣の根性こんじょうをあらわしている。しばらくすると下女が来て寒月かんげつさんがおいでになりましたという。この寒月という男はやはり主人の旧門下生であったそうだが、今では学校を卒業して、何でも主人より立派になっているという話はなしである。この男がどういう訳か、よく主人の所へ遊びに来る。来ると自分を恋おもっている女が有りそうな、無さそうな、世の中が面白そうな、つまらなそうな、凄すごいような艶つやっぽいような文句ばかり並べては帰る。主人のようなしなびかけた人間を求めて、わざわざこんな話しをしに来るのからして合点がてんが行かぬが、あの牡蠣的かきてき主人がそんな談話を聞いて時々相槌あいづちを打つのはなお面白い。

両人ふたりが出て行ったあとで、吾輩はちょっと失敬して寒月君の食い切った蒲鉾かまぼこの残りを頂戴ちょうだいした。吾輩もこの頃では普通一般の猫ではない。まず桃川如燕ももかわじょえん以後の猫か、グレーの金魚を偸ぬすんだ猫くらいの資格は充分あると思う。車屋の黒などは固もとより眼中にない。蒲鉾の一切ひときれくらい頂戴したって人からかれこれ云われる事もなかろう。それにこの人目を忍んで間食かんしょくをするという癖は、何も吾等猫族に限った事ではない。うちの御三おさんなどはよく細君の留守中に餅菓子などを失敬しては頂戴し、頂戴しては失敬している。御三ばかりじゃない現に上品な仕付しつけを受けつつあると細君から吹聴ふいちょうせられている小児こどもですらこの傾向がある。四五日前のことであったが、二人の小供が馬鹿に早くから眼を覚まして、まだ主人夫婦の寝ている間に対むかい合うて食卓に着いた。彼等は毎朝主人の食う麺麭パンの幾分に、砂糖をつけて食うのが例であるが、この日はちょうど砂糖壺さとうつぼが卓たくの上に置かれて匙さじさえ添えてあった。いつものように砂糖を分配してくれるものがないので、大きい方がやがて壺の中から一匙ひとさじの砂糖をすくい出して自分の皿の上へあけた。すると小さいのが姉のした通り同分量の砂糖を同方法で自分の皿の上にあけた。少しばらく両人りょうにんは睨にらみ合っていたが、大きいのがまた匙をとって一杯をわが皿の上に加えた。小さいのもすぐ匙をとってわが分量を姉と同一にした。すると姉がまた一杯すくった。妹も負けずに一杯を附加した。姉がまた壺へ手を懸ける、妹がまた匙をとる。見ている間まに一杯一杯一杯と重なって、ついには両人ふたりの皿には山盛の砂糖が堆うずたかくなって、壺の中には一匙の砂糖も余っておらんようになったとき、主人が寝ぼけ眼まなこを擦こすりながら寝室を出て来てせっかくしゃくい出した砂糖を元のごとく壺の中へ入れてしまった。こんなところを見ると、人間は利己主義から割り出した公平という念は猫より優まさっているかも知れぬが、智慧ちえはかえって猫より劣っているようだ。そんなに山盛にしないうちに早く甞なめてしまえばいいにと思ったが、例のごとく、吾輩の言う事などは通じないのだから、気の毒ながら御櫃おはちの上から黙って見物していた。

吾輩が主人の膝ひざの上で眼をねむりながらかく考えていると、やがて下女が第二の絵端書えはがきを持って来た。見ると活版で舶来の猫が四五疋ひきずらりと行列してペンを握ったり書物を開いたり勉強をしている。その内の一疋は席を離れて机の角で西洋の猫じゃ猫じゃを躍おどっている。その上に日本の墨で「吾輩は猫である」と黒々とかいて、右の側わきに書を読むや躍おどるや猫の春一日はるひとひという俳句さえ認したためられてある。これは主人の旧門下生より来たので誰が見たって一見して意味がわかるはずであるのに、迂濶うかつな主人はまだ悟らないと見えて不思議そうに首を捻ひねって、はてな今年は猫の年かなと独言ひとりごとを言った。吾輩がこれほど有名になったのを未まだ気が着かずにいると見える。

おりから門の格子こうしがチリン、チリン、チリリリリンと鳴る。大方来客であろう、来客なら下女が取次に出る。吾輩は肴屋さかなやの梅公がくる時のほかは出ない事に極きめているのだから、平気で、もとのごとく主人の膝に坐っておった。すると主人は高利貸にでも飛び込まれたように不安な顔付をして玄関の方を見る。何でも年賀の客を受けて酒の相手をするのが厭らしい。人間もこのくらい偏屈へんくつになれば申し分はない。そんなら早くから外出でもすればよいのにそれほどの勇気も無い。いよいよ牡蠣の根性こんじょうをあらわしている。しばらくすると下女が来て寒月かんげつさんがおいでになりましたという。この寒月という男はやはり主人の旧門下生であったそうだが、今では学校を卒業して、何でも主人より立派になっているという話はなしである。この男がどういう訳か、よく主人の所へ遊びに来る。来ると自分を恋おもっている女が有りそうな、無さそうな、世の中が面白そうな、つまらなそうな、凄すごいような艶つやっぽいような文句ばかり並べては帰る。主人のようなしなびかけた人間を求めて、わざわざこんな話しをしに来るのからして合点がてんが行かぬが、あの牡蠣的かきてき主人がそんな談話を聞いて時々相槌あいづちを打つのはなお面白い。

両人ふたりが出て行ったあとで、吾輩はちょっと失敬して寒月君の食い切った蒲鉾かまぼこの残りを頂戴ちょうだいした。吾輩もこの頃では普通一般の猫ではない。まず桃川如燕ももかわじょえん以後の猫か、グレーの金魚を偸ぬすんだ猫くらいの資格は充分あると思う。車屋の黒などは固もとより眼中にない。蒲鉾の一切ひときれくらい頂戴したって人からかれこれ云われる事もなかろう。それにこの人目を忍んで間食かんしょくをするという癖は、何も吾等猫族に限った事ではない。うちの御三おさんなどはよく細君の留守中に餅菓子などを失敬しては頂戴し、頂戴しては失敬している。御三ばかりじゃない現に上品な仕付しつけを受けつつあると細君から吹聴ふいちょうせられている小児こどもですらこの傾向がある。四五日前のことであったが、二人の小供が馬鹿に早くから眼を覚まして、まだ主人夫婦の寝ている間に対むかい合うて食卓に着いた。彼等は毎朝主人の食う麺麭パンの幾分に、砂糖をつけて食うのが例であるが、この日はちょうど砂糖壺さとうつぼが卓たくの上に置かれて匙さじさえ添えてあった。いつものように砂糖を分配してくれるものがないので、大きい方がやがて壺の中から一匙ひとさじの砂糖をすくい出して自分の皿の上へあけた。すると小さいのが姉のした通り同分量の砂糖を同方法で自分の皿の上にあけた。少しばらく両人りょうにんは睨にらみ合っていたが、大きいのがまた匙をとって一杯をわが皿の上に加えた。小さいのもすぐ匙をとってわが分量を姉と同一にした。すると姉がまた一杯すくった。妹も負けずに一杯を附加した。姉がまた壺へ手を懸ける、妹がまた匙をとる。見ている間まに一杯一杯一杯と重なって、ついには両人ふたりの皿には山盛の砂糖が堆うずたかくなって、壺の中には一匙の砂糖も余っておらんようになったとき、主人が寝ぼけ眼まなこを擦こすりながら寝室を出て来てせっかくしゃくい出した砂糖を元のごとく壺の中へ入れてしまった。こんなところを見ると、人間は利己主義から割り出した公平という念は猫より優まさっているかも知れぬが、智慧ちえはかえって猫より劣っているようだ。そんなに山盛にしないうちに早く甞なめてしまえばいいにと思ったが、例のごとく、吾輩の言う事などは通じないのだから、気の毒ながら御櫃おはちの上から黙って見物していた。

吾輩が主人の膝ひざの上で眼をねむりながらかく考えていると、やがて下女が第二の絵端書えはがきを持って来た。見ると活版で舶来の猫が四五疋ひきずらりと行列してペンを握ったり書物を開いたり勉強をしている。その内の一疋は席を離れて机の角で西洋の猫じゃ猫じゃを躍おどっている。その上に日本の墨で「吾輩は猫である」と黒々とかいて、右の側わきに書を読むや躍おどるや猫の春一日はるひとひという俳句さえ認したためられてある。これは主人の旧門下生より来たので誰が見たって一見して意味がわかるはずであるのに、迂濶うかつな主人はまだ悟らないと見えて不思議そうに首を捻ひねって、はてな今年は猫の年かなと独言ひとりごとを言った。吾輩がこれほど有名になったのを未まだ気が着かずにいると見える。

おりから門の格子こうしがチリン、チリン、チリリリリンと鳴る。大方来客であろう、来客なら下女が取次に出る。吾輩は肴屋さかなやの梅公がくる時のほかは出ない事に極きめているのだから、平気で、もとのごとく主人の膝に坐っておった。すると主人は高利貸にでも飛び込まれたように不安な顔付をして玄関の方を見る。何でも年賀の客を受けて酒の相手をするのが厭らしい。人間もこのくらい偏屈へんくつになれば申し分はない。そんなら早くから外出でもすればよいのにそれほどの勇気も無い。いよいよ牡蠣の根性こんじょうをあらわしている。しばらくすると下女が来て寒月かんげつさんがおいでになりましたという。この寒月という男はやはり主人の旧門下生であったそうだが、今では学校を卒業して、何でも主人より立派になっているという話はなしである。この男がどういう訳か、よく主人の所へ遊びに来る。来ると自分を恋おもっている女が有りそうな、無さそうな、世の中が面白そうな、つまらなそうな、凄すごいような艶つやっぽいような文句ばかり並べては帰る。主人のようなしなびかけた人間を求めて、わざわざこんな話しをしに来るのからして合点がてんが行かぬが、あの牡蠣的かきてき主人がそんな談話を聞いて時々相槌あいづちを打つのはなお面白い。

両人ふたりが出て行ったあとで、吾輩はちょっと失敬して寒月君の食い切った蒲鉾かまぼこの残りを頂戴ちょうだいした。吾輩もこの頃では普通一般の猫ではない。まず桃川如燕ももかわじょえん以後の猫か、グレーの金魚を偸ぬすんだ猫くらいの資格は充分あると思う。車屋の黒などは固もとより眼中にない。蒲鉾の一切ひときれくらい頂戴したって人からかれこれ云われる事もなかろう。それにこの人目を忍んで間食かんしょくをするという癖は、何も吾等猫族に限った事ではない。うちの御三おさんなどはよく細君の留守中に餅菓子などを失敬しては頂戴し、頂戴しては失敬している。御三ばかりじゃない現に上品な仕付しつけを受けつつあると細君から吹聴ふいちょうせられている小児こどもですらこの傾向がある。四五日前のことであったが、二人の小供が馬鹿に早くから眼を覚まして、まだ主人夫婦の寝ている間に対むかい合うて食卓に着いた。彼等は毎朝主人の食う麺麭パンの幾分に、砂糖をつけて食うのが例であるが、この日はちょうど砂糖壺さとうつぼが卓たくの上に置かれて匙さじさえ添えてあった。いつものように砂糖を分配してくれるものがないので、大きい方がやがて壺の中から一匙ひとさじの砂糖をすくい出して自分の皿の上へあけた。すると小さいのが姉のした通り同分量の砂糖を同方法で自分の皿の上にあけた。少しばらく両人りょうにんは睨にらみ合っていたが、大きいのがまた匙をとって一杯をわが皿の上に加えた。小さいのもすぐ匙をとってわが分量を姉と同一にした。すると姉がまた一杯すくった。妹も負けずに一杯を附加した。姉がまた壺へ手を懸ける、妹がまた匙をとる。見ている間まに一杯一杯一杯と重なって、ついには両人ふたりの皿には山盛の砂糖が堆うずたかくなって、壺の中には一匙の砂糖も余っておらんようになったとき、主人が寝ぼけ眼まなこを擦こすりながら寝室を出て来てせっかくしゃくい出した砂糖を元のごとく壺の中へ入れてしまった。こんなところを見ると、人間は利己主義から割り出した公平という念は猫より優まさっているかも知れぬが、智慧ちえはかえって猫より劣っているようだ。そんなに山盛にしないうちに早く甞なめてしまえばいいにと思ったが、例のごとく、吾輩の言う事などは通じないのだから、気の毒ながら御櫃おはちの上から黙って見物していた。

吾輩が主人の膝ひざの上で眼をねむりながらかく考えていると、やがて下女が第二の絵端書えはがきを持って来た。見ると活版で舶来の猫が四五疋ひきずらりと行列してペンを握ったり書物を開いたり勉強をしている。その内の一疋は席を離れて机の角で西洋の猫じゃ猫じゃを躍おどっている。その上に日本の墨で「吾輩は猫である」と黒々とかいて、右の側わきに書を読むや躍おどるや猫の春一日はるひとひという俳句さえ認したためられてある。これは主人の旧門下生より来たので誰が見たって一見して意味がわかるはずであるのに、迂濶うかつな主人はまだ悟らないと見えて不思議そうに首を捻ひねって、はてな今年は猫の年かなと独言ひとりごとを言った。吾輩がこれほど有名になったのを未まだ気が着かずにいると見える。

おりから門の格子こうしがチリン、チリン、チリリリリンと鳴る。大方来客であろう、来客なら下女が取次に出る。吾輩は肴屋さかなやの梅公がくる時のほかは出ない事に極きめているのだから、平気で、もとのごとく主人の膝に坐っておった。すると主人は高利貸にでも飛び込まれたように不安な顔付をして玄関の方を見る。何でも年賀の客を受けて酒の相手をするのが厭らしい。人間もこのくらい偏屈へんくつになれば申し分はない。そんなら早くから外出でもすればよいのにそれほどの勇気も無い。いよいよ牡蠣の根性こんじょうをあらわしている。しばらくすると下女が来て寒月かんげつさんがおいでになりましたという。この寒月という男はやはり主人の旧門下生であったそうだが、今では学校を卒業して、何でも主人より立派になっているという話はなしである。この男がどういう訳か、よく主人の所へ遊びに来る。来ると自分を恋おもっている女が有りそうな、無さそうな、世の中が面白そうな、つまらなそうな、凄すごいような艶つやっぽいような文句ばかり並べては帰る。主人のようなしなびかけた人間を求めて、わざわざこんな話しをしに来るのからして合点がてんが行かぬが、あの牡蠣的かきてき主人がそんな談話を聞いて時々相槌あいづちを打つのはなお面白い。

両人ふたりが出て行ったあとで、吾輩はちょっと失敬して寒月君の食い切った蒲鉾かまぼこの残りを頂戴ちょうだいした。吾輩もこの頃では普通一般の猫ではない。まず桃川如燕ももかわじょえん以後の猫か、グレーの金魚を偸ぬすんだ猫くらいの資格は充分あると思う。車屋の黒などは固もとより眼中にない。蒲鉾の一切ひときれくらい頂戴したって人からかれこれ云われる事もなかろう。それにこの人目を忍んで間食かんしょくをするという癖は、何も吾等猫族に限った事ではない。うちの御三おさんなどはよく細君の留守中に餅菓子などを失敬しては頂戴し、頂戴しては失敬している。御三ばかりじゃない現に上品な仕付しつけを受けつつあると細君から吹聴ふいちょうせられている小児こどもですらこの傾向がある。四五日前のことであったが、二人の小供が馬鹿に早くから眼を覚まして、まだ主人夫婦の寝ている間に対むかい合うて食卓に着いた。彼等は毎朝主人の食う麺麭パンの幾分に、砂糖をつけて食うのが例であるが、この日はちょうど砂糖壺さとうつぼが卓たくの上に置かれて匙さじさえ添えてあった。いつものように砂糖を分配してくれるものがないので、大きい方がやがて壺の中から一匙ひとさじの砂糖をすくい出して自分の皿の上へあけた。すると小さいのが姉のした通り同分量の砂糖を同方法で自分の皿の上にあけた。少しばらく両人りょうにんは睨にらみ合っていたが、大きいのがまた匙をとって一杯をわが皿の上に加えた。小さいのもすぐ匙をとってわが分量を姉と同一にした。すると姉がまた一杯すくった。妹も負けずに一杯を附加した。姉がまた壺へ手を懸ける、妹がまた匙をとる。見ている間まに一杯一杯一杯と重なって、ついには両人ふたりの皿には山盛の砂糖が堆うずたかくなって、壺の中には一匙の砂糖も余っておらんようになったとき、主人が寝ぼけ眼まなこを擦こすりながら寝室を出て来てせっかくしゃくい出した砂糖を元のごとく壺の中へ入れてしまった。こんなところを見ると、人間は利己主義から割り出した公平という念は猫より優まさっているかも知れぬが、智慧ちえはかえって猫より劣っているようだ。そんなに山盛にしないうちに早く甞なめてしまえばいいにと思ったが、例のごとく、吾輩の言う事などは通じないのだから、気の毒ながら御櫃おはちの上から黙って見物していた。